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記憶 2019.08.31

夏休みも終わり、学校が始まるこの時期。

 

先日SNSで、

「いじめをするなら学校に来なくていい」

という、いじめをする側に向けた言葉がありました。

賛否両論上がっていましたが、

 

私も、苦手な子がお休みの日は

ホッと出来るラッキーデーだったこと、思い出しました。

 

 

ーいじめ・不登校ー

 

そんな言葉を聞くと蘇る、苦い記憶があります。


 

小学校6年生のとき。

 

仲良くしていたグループの女の子があるとき給食の時間に

大事にしている手鏡がないとみんなの前で騒ぎ始めて

 

なぜかその子がみんなの前で、私だけに

「引き出しを開けてみて」と言い出しました。

 

嫌な予感がして、引き出しを開けると

そこに、彼女が探していた手鏡がありました。

 

その言い方、薄ら笑いから

その子と周りの数人の子が仕掛けたことは明らかでした。

 

その子たちにとっては

ちょっとした遊びのつもりだったのかもしれない。

 

でも、教室という小さな社会の中で、

何もしていないのに泥棒に仕立てあげられた

あの凍りつくような一瞬は今でも忘れません。

 

親友という言葉が、大嫌いになりました。

 

それから、昼休みも、放課後も、

音楽室が私の居場所になり、

ピアノが一番、近くで寄り添ってくれる友だちでした。

 

 

運良くその後は、

時を重ねて信頼できる友にも出会えました。

 

そして今も音楽を続けられているから

その頃も肯定することが出来ますが、

苦い記憶は、消えることはありません。

 

些細な嫌がらせの数々に恨みは全くないですが、

その子を好きなることは、一生ないでしょう。

 

それが、された側の気持ちです。






 

 

そして、そんなことを語る私自身も

どこかで誰かを傷つけていたかもしれないし

それもまた同じく、その記憶は塗り替えることはできない。

 

 

 

大人になり、心が成長すればするほど

人を傷つけたことは、後悔の念として残っていきます。

 

受けた傷は、自分を強くする。

つけた傷は、必ず自分に返ってくる。

 

自業自得。因果応報。

 

そんな事を語りながら





子どもたちの思いも聞ける立場に

いつかなれたらいいなと思う。



 

私が音楽に救われたように。

 

そんなことを思う8月31日の夜。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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